Sei KIsaragiオフィシャルブログ


戯言

2014.08.21 Thursday[戯言-

人間は全て、経験で生きている。
自分の経験値で基本生きているため、何か違う経験をすると慣れないことに違う反応を示す。
どんなに長生きしようと新しいことに巡り合わせると、また新たな経験ということになる。
考えれば、人類の400万年前から300万年前のアウストラロピテクスから始まる。
しいては、130億年前に宇宙誕生の歴史を見れば、
ほんのわずかの時を過ごしているのが現在の人間である。
気が遠くなる程の年月だ。
どんなにクリエイトしたとしても全然足らないぐらいのクリエイト力も永遠に続くだろう。
方程式はあるところまでしかわからず、その先の方程式はまだ存在していく。
量子力学では、どうも数字が理に適わない。
宇宙はインフレーションしている最中、人間の生活は豊かになっているかと言えば、
肯定し難いとも言える。
豊かにならなければならないはずが、宇宙の原則からはそうとは言えない。
なぜ?という疑問を持ち続けることで、文明は発達する。
言い換えれば、疑問を持たないと成長しない。
ニーチェやサルトルも相当な思考をした上で、偉大な哲学者になった。
もはや病的なぐらいの思考能力だ。
オシャレな生き方とは基本的にないと考えます。
そう見かけだけに拘ると、中身が蔑ろになるだけだから。
思考することは、記憶にとどまらず、いろんな意味で活性化していく。
妄想とは一歩現実化する第一歩目であろう。
妄想家はファンタジーだけで終わるのは惜しい。
前に走る空想や妄想は全然ありではなかろうか。
過去はただの教訓しかない。未来形で思考することが必要なのだ。
意味のないコンフリクトは時間の無駄でしかない。
より発展的に物事を思考できることで、柔軟性に前向きになれる。
常に未来へ自然と走る、この場合時が過ぎることだが、
限られた時間があるとすれば燃焼すりより他ない。
では話は少し変わり、アメリカの精神科医のブライアン.L.ワイス博士の著書を引用します。
博士は瞑想や退行から得られる数多くの利点の一つに、価値観の変化あると言う。
自分にとって真に大切なことを大切ではないことを見分ける時の視点の変化だと。
このような価値観の変化は、
不滅であること、
つまり、肉体が亡びても自分は死なないということを知った時に、起こるものです。
過去世退行を体験すると、私たちは自分が前にも生きていたこと、
いつか再びここに生まれてくること、そして愛する人々と再会することがわかるようになるという。
さらに、家族や友人と、身体的な触れ合いは失っても、向う側の世界か、次の人生で再び出会えるとわかると、苦しみや悲しみの本質が変化する。
私たちが実は魂の存在であることに気づくと、根本的な変化が促されて、愛、より良い人間関係、思いやりなどを大切にするようになります。
そして、他の全ての存在とのつながりを、もっとはっきりと感じ始めます。
このような新しい価値観が幸せの基礎になるのです。
何が大切か、その順序が変化し、以前は怒りや苛立ちを感じた相手を、
今や違う光の中で違った視点から見ることができるようになります。
もっと我慢強くなり、寛大になります。心の安らぎと静けさが増します。
人生の問題は学びのチャンスであり、
成長の旅の途上に置かれた踏み台であると、
思えるようになります。
結局、私たちは故郷への道を探求している永遠の魂なのです。
そして常に愛されていて、一人きりになることはありえません。
この次元では、何ものも私たちを傷つけることはできないのです。
ワイス博士は語る、私はずっとそんなことはあるはずがないと思っていましたが、
今は過去世を信じています。
私の信念は何千という患者の皆さんと共有する、21年に渡る経験に基づいています。
これまで多くの不思議な信じ難いような現象を目撃しましたが、
退行療法の効果を得るためには、輪廻転生を信じる必要があるとは、私は思っていません。
起こったことをたとえ、比喩や象徴だと思い込んでいても、大切な情報はその人の意識に伝えられるのです。そして、得られた知識や気づきは、身体や感情や心に大きな変化をもたらします。恐怖症や怖れが消え、霊的次元に目覚めることによって価値観が変化し、愛がより自由に豊かに流れ出します。そして心の平和が実現して、大きな喜びと幸福をもたらします。
大切なことは、こわがらないこと、
そして、偏見を捨てて心を大きく開いていることなのです。
と述べています。
退行療法はさておき、実に感慨深い。真剣に患者さんと向き合った結晶とも言える、
経験値であろう。完全なる科学として証明されなくとも、実体験として、コロンビア大学を卒業し、エール大学の医学部で医学の学位を取得、マウント.サイナイ医療センターの精神科部長を務めた。最先端の医療の医師としての発言であるのがまた信憑性に富む。
冒頭に述べた思考というところにリンクしていくとも考察できる。
続く

経済システムと社会や人間との関係において

社会学者の度デュルケムは市場の無規制的な拡大で、
人々の欲望が他律的に強化され異常に肥大化していく中で、
消費の焦燥感や挫折感、幻滅などが生じることを経済的アノミーといった。
これはデュルケムが(自殺論)で展開したアノミー論である。
これは私から考えると、欲望の果てのような人間の悲しき姿ではないだろうか。
物欲だけに捉われた悲しき人間像ではないか。

デュルケムは他に、方法論的集団主義を次のように述べている。
社会を個人の行為に還元せず、
個人の意思を超えた固有の特性をもつ有機体として説明すること、
(社会的事実をモノのように捉えよ)と提唱し、
社会は観察可能な指標を通じ客観的に捉えられるとした。
また機械的連帯(環節的社会)は
相互に類似した同質的な成員が機械的に結合した社会形態と述べている。

では有機的連帯(組織的社会)とは独立の人格をもった異質な成員が、
自らの個性を能動的に生かしながら、分業に基づいて相互に結びついて形成する社会形態、
近代化がもたらす社会の結合は、
社会分業論の立場から機械的連帯から有機的連帯へと発展するとした、
そして有機的連帯に発展しない分業の異常状態をアノミー的分業と呼んだ。

アノミーとは社会規範の動揺、崩壊などによって生じる行為や欲求の無規制状態という。
そして、自殺の4種類を提唱している。

1,集団本位的自殺、社会との結びつきが強く、集団の規範、
  価値体系に絶対服従することから生じる自殺。
2,自己本位的自殺、社会との結びつきが弱く、
  個人が集団から切離され孤立することによって生じる自殺。
3,上記と重複するが、アノミー的自殺、社会からの拘束が弱く、
  個人の欲求が無限に増大し幻滅や虚無感が生じることによる自殺。
4,宿命的自殺、社会からの拘束が強く、欲求に対する規制が強すぎるために生じる自殺。

このうち、2、3、を前近代的自殺であるとデュルケムは提唱している。
このような判別は現代人に如何にあてはまることになるのだろうか。
自己の欲求と社会からの拘束にどれだけ自己が対処できるのか、
またはどこに幸福感を得て、社会生活を送ることができているのか、
自己の欲求の深さで自滅することもあるかもしれない。
欲求がなければ、人間としても成り立たない。

どこまでも自己の実現に向けて歩かなければ、
ゴールはさらに遠くなるのではないだろうか。
そこでやはり個人因子という固有のものが尊重されなければならないと考えるのである。
続く