Sei KIsaragiオフィシャルブログ


素人分析の問題

2013.08.29 Thursday[フロイトcomments (0)

緒言。この小論文では何を扱おうとしているのか分からないだろう。そこで説明することにしよう。(素人)とは医師以外の人のことで、(問題)とは、医師以外の人にも精神分析を行うことを許可すべきか、ということだ。この間題が取り上げられたのは、時代的にも地域的にも限られている。

時代的というのは、これまで、誰が精神分析を行うのかということなど誰一人として気にもならなかったからだ。実際、このことに対する関心があまりになさ過ぎた。精神分析など誰一人として行うべきではないという欲望を皆が抱いていたからだ。色々な理由づけがされるだろうが、根底には、精神分析に対する嫌悪がある。それゆえ、医師にしか精神分析を行うことを許されないという要請は−それが以前の態度をいくらか修正しただけでの代物だという疑いを拭えるなら−精神分析に対する新たな、見たところ以前よりも友好的な態度といえる。精神分析による治療が場合によっては行ってもよいと認められるなら、それは医師だけに許可すべきだというわけだ。それなら、医師だけに限定する理由を検討する必要があるだろう。

地域的にも素人分析の問題は限られている。なぜなら、この問題は全ての国において同じ重要性を持つわけではないからだ。ドイツとアメリカでは、学術上議論にしかならない。なぜなら、これらの国にではどの患者も自分が望む方法で望む人から治療を受けることができ、しかも望む者は誰でも、自らの行為に責任を取りさえすれば、(もぐり医者)として随意の患者を治療してもよいからである。患者が損害賠償を求めて訴訟を起こすまで、司法は介入しない。しかし、オーストリアでは、いま私はこの国で、この国に対して筆を取っているのだが、法律は予防的で、医師以外の人が患者を治療することは、その結果の如何に関わらず禁じられています。だから、この国では、素人、すなわち医師以外の人が患者を精神分析で治療してよいという問題は実践的な意味を帯びてくる。

しかし、この間題が提起されるや否や、法律の文言によって決着がっいているようにも思える。すなわち、神経質症者は患者であり、素人は医師ではない、精神分析は神経質症者の苦悩の治療もしくは回復のための方法であり、そのような治療は全て医師だけに委ねられる。ゆえに素人が神経質症者に精神分析を施すことは許されない、もしそのようなことがあれば、刑罰の対象となる。事情がこのように単純なら、素人分析の問題に敢えて取り組む者など居やしない。しかし、法律上は問題にはならないが、しかしそれゆえにこそ一考を要する複雑な事情がいくつかある。ことによると、この場合の患者は他の患者とは異なっており、また、素人はいわゆる素人ではなく、医師は、世間が医師に期待してしかるべき能力を持たず、かつ、医師自身が自ら自負の根拠とできるような能力もないということが判明するかもしれない。このことが証明されるなら、ここで問題となっている事例に法律を適用するには先ずはその修正が不可欠だと主張してしかるべきことになろう。

そうなるかどうかは、精神分析治療の諸特性をことさら知る必要の人たちの意見次第である。私たちの課題は、こうした公平な立場の方々が今のところ何の予備知識もないと仮定した上で、彼らに精神分析について知ってもらうことである。残念なながら、彼らにそうした治療の様子を現場で直に聞いてもらうことはできない。

(精神分析がなされている状況)にはいかなる第三者も居合わせてはならないからだ。また、どの治療時間も等しく重要だとは限らないので、そのような−居合わせる資格もない−聴衆に場当たり的に治療の現場を直に聞いてもらっても、大概の場合、判断に役立つ印象は得られず、精神分析家と患者との間で何が話し合われているのか理解できず仕舞いになりかねない。さもなければ退屈するだけだろう。だから、私たちが用意する情報でともかく満足してもらうしかない。そうした情報をできるだけ信頼してもらえるように書くつもりである。

そこで、次のような悩みを抱えている患者がいると仮定しよう。気分の変動があり、自分ではどうにもならない。あるいは、ひどく弱気になって、自分は何一つ正しいことができないと思い、気力が萎えたように感じたり、あるいは、知らない人たちの中にいると不安に苦しんだりしている。彼は、理由もなく、自分の仕事をやり遂げるとことが困難だと感じる。加えて、比較的重要な決定を下したり、企画を実行することがも全て自分には困難なことだと感じる。ある日、原因は分からないが、不安感のひどい発作に襲われ、それ以来、一人で道路を渡にも鉄道に乗るにも-大決心を要するようになり、事によると両方とも全く出来なくなる。あるいは、とても不思議なことに、自分の思考が我が道を歩き始め、自分の意思で統御できなくなる。思考が全くどうでもよい問題ばかり追求し、それを考えずにはいられない。手紙を郵便私書箱に投函したり、ガスの火を消すといった単純な仕事をすると、その直後にそれを本当に行ったかどうか疑ってしまう。

これだけなら苛立たしく煩わしいだけかもしれないが、次のような状態は我慢の域を超える。例えば、子供を自動車の車輪の下へと突き飛ばしてしまったとか、知らない人を橋から水の中-投げ込んでしまったというような想念が急に払い除けられなくなる。あるいは、今日発覚した犯罪の首謀者として警察が手配している殺人犯とは自分のことではないかと自問せずにはいられない。勿論、これは明らかに馬鹿げたことで、そんなことは自分でも分かっている。自分は誰に対しても悪事を働いたことはない、しかし、もし仮に自分が実際にその手配中の殺人犯であっても、この感情、つまり罪責感、はこれ以上強いことはないだろう。

あるいは、わたしたちの患者は−今度は女性患者としよう−別の形で、別の面で苦しみを抱えている。彼女はピアノ奏者だが、指が痘轡して仕事にならない。それでパーティーや舞踏会、演劇、コンサートに行くのを諦めてしまう。彼女は最も都合の悪いときに激しい頭痛やその他の痛みの感覚に襲われるだろう。時に、食事の度にいっも決まって吐き気出さざるを得ない。それが長く続くと危険なものになりかねない。そして最後に、困ったことに彼女は気の昂ぶりに一切耐えられない。しかし、それは暮らしの中では避けようがない。そうした折には気を失ってしまい、しばしば、重篤な病状かと思わせる筋肉の痘轡を伴う。
さらには他の患者たちは一つの特別な領域、すなわち、感情生活が身体的な要求と密接に関わる領域(性生活の面)で障碍を感じている。男性の場合、異性に対するこの上ない情愛的な感情の動きが生じても、それを身体的に表現できないのに、あまり愛していない対象には極度に反応してしまう。 あるいは、自分が軽蔑し、離れたいと思っている人に官能を覚え、離れることができない。あるいは、自分でも不快に思うようなことでしか官能を満たせない。

女性の場合は、不安や嫌悪感や原因不明のために性生活の要求に応じられない。あるいは、愛に身を委ねても、自然がそのような従順の報償として用意してくれた享楽を感じられない。これらの人たちは昔、自分が病気だと自覚して、そのような神経質症の障碍を取り除いてくれそうな医師をに診てもらいに行く。医師たちは、これらの病気を分類する範疇を作成する。彼らはそれらを自分の見解に応じて神経衰弱、精神衰弱、恐怖症、強迫神経症、ヒステリーといった様々な病名で診断する。医師たちは普段の生活ぶりを改めるように言ったり、保養や体の鍛錬、強壮剤を勧める。それによって一時的に病状は緩和する。あるいは、何の変化も生じない。ようやく患者は、そうした苦悩を専門に治療する人がいると聞きつけて、その人のところで精神分析を受け始める。

私が今ここにいると想定している公平な立場の方は、私が神経質症の症状をかれこれ論じていた間、苛立ちを示していた。今後は注意を集中し、緊張気味に、次のように言う、(やつと話して頂けるのですね、医師でも助けられなかった患者に精神分析家がどんな治療を行うのか)と。
続く。


如月の見解。実に面白い展開に発展していきます。医師とそうでない人の違いをフロイトは医師の立場で実例もあげながら分析していく。後にカウンセラーという立場を不動にしたロジャースが出て来るのですが、現代こそカウンセラーの位置づげはあるが、この時代フロイトはどう解釈していたか、この続きの論文はまた述べていきます。


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カウンセラーとしての職業

2013.08.26 Monday[カウンセリングcomments (0)

世界的有名な心理学者や精神科医はほとんどが欧米から由来しており、物理学者や最近ではIPS細胞での研究で大きな成果を上げた山中教授などおられますが、この心理学での活躍やカウンセラーとしての功績は日本では世界的に見て悲しいかなレベルは低い。

なぜそうなるのか、例えば外科は見た患部が損傷していると誰にでもその傷などが見え、その治療にあたるが、見えない患部は誰もが分かりにくい。最近では認知行動療法を取り入れて治療をしたり、その人に適した治療や方法がとられているが、元々内面的に分析し、それが汎用的に通ずるかと言えば、そうでもない。(自分はどれにも属さない!)と反論する人が必ず出て来る。しかし、内面からアプローチし研究することが必要で、共通意識や器質的なもの異なるので、その人がどこに向かうのかまた社会においてもどう対処すれば良いのかの判断基準にもなり得る。

文化の違い、敢えては究極DNAの違いも多々あることは否定できない。日本では、悪くいえば、根拠のないところを弄繰り回して、最後には利権みたいなものが存在し、混乱させる。ロジャースも日本風に変えられ、???と疑問視することも目にする。ロジャースはこんなことを考えているとは思わない、日本風心理学?

そして自称カウンセラーの存在。(私もカウンセラーの勉強したよ!)って。で?
どこをどうしてカウンセラー?現在、日本で有効とされる8個程あるカウンセラーの資格?場合によってはどこにも属さない。勝手に作った民間団体の資格?いくらでもできるんだなって考えざるを得ない。カウンセラーという言葉を簡単に口にしないでほしい限りであって人の人生をややもすれば左右するこの職業で、混乱と困惑を招くだけである。

なぜ欧米がこの職業が定着し、この分野が発達したのか、感覚的な分野でもありその人に合わせた波長みたいなものを捉えて感覚的に鋭いと考えます。音楽やアート、また言葉の意味や発音、ニュアンスという部分で日本人とはその捉え方は違う。よく洋画でも字幕で(アレッ?そんな意味か。)とか、また英訳する人でも異なる。カウンセリングは欧米化しないとまず出口が見つからない。言わないでもわかるだろう、であるとかいつか気づくだろうみたいなスタイルは時間の無駄で、逃げているか保身としか思えない。

一番何が違うのか、当然知識も大いに必要ですが、その人を本気で救う、助けるという愛が絶対条件で、それが悲しいかな国内では極めて少ないのが現状である。


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夢とテレパシー

2013.08.20 Tuesday[フロイトcomments (0)

上記のような標題を予告すると、所謂オカルト現象に対して興味津々の今のご時世では、ある特定の期待を掻き立てずにはいられません。それゆえ急いで、こうした期待には反論しておきましょう。私の講演からテレパシーの謎について何かを知るということはないでしょうし、私が(テレパシー)の実在を信じているか否かについてすら、はっきりしたことを教えられることもないでしょう。ここでの私の課題はごく慎ましやかなもので、どこに由来するにせよ、テレパシー的出来事がいかなる関係を夢に対してもつのか、より正確には、我々の夢理論に対していかなる関係を持つのかを探求するということです。ご存じのように夢とテレパシーの関係は大変緊密だと一般的にみなされています。私が皆さんにこれから述べる見解とは、そのことが夢に関する我々の見解をなんら変更させる必要はないということです。

今回の発表の元となる素材はごくわずかなものです。(夢解釈)1900年。執筆当時と異なり、今回は私自身の夢を材料にできなかったのは何よりも残念なことです。しかし、私は(テレパシー的)夢というものを見たことがありません。それは、ある遠く離れた場所で何か特定の事件が起こるという伝達内容を含む夢を見ないということではありません。ただし、そうした場合、事件が生じるのはまさにいまなのか、それとももっと後なのかという決定は、夢見る人の見解に委ねられるようですが、また私は、目が覚めている最中でも、遠くの出来事に対する予感をしばしば感じたことがあります。しかし、こうした予見.予感は、俗に言うように、当たらなかったのです。これらの予見等にはなんら外的現実が対応しないことが示され、したがってこれらは純粋に主観的な期待として捉えられざるを得ないのでした。

例えば私は戦争中一度、前線に赴いていた私の息子の一人が殺がれた夢を見たことがあります。夢はそれを直接告げているのではないですが、けれど見間違えようなく、夢はそのことを、w. シュテーケルが最初に言明した、周知の死の象徴法を手段として表現したのです(文献上良心的であれ!という煩わしく感じられることも多い義務をここで忽せにしないようにしましょう)。私は、上陸桟橋のもとに、陸地と水との境界に、若い兵士が立っているのを見ました。とても青ざめた風情で、話し掛けてみましたが、返事はありませんでした。

加えて、それ以外にも誤解しようのない暗示がありました。息子は軍服ではなく、スキー服を着用していました。それは戦争の何年か前、息子が重いスキー事故を起こした時に着ていたものです。息子は足台のようなものに乗って、一つの箱を前にしていました。この情況は私自身の幼年期の思い出との関連で(倒れる)という解釈をさせずにはおきませんでした。というのも、私は二歳を少し越えた頃、同じような足台に上って箱の中から何かを取ろうとして転倒し、怪我をしたことがあるからです。その傷跡は今日でも示すことができます。あの夢によって死を告げられた私の息子は、しかし、戦争の危機から無事に帰還しました。最近になって私は、災難を告げる別の夢を見ました。この小さな発表をしようと決心する直前のことであったと思います。今度はあまり隠し立てはなされていませんでした。

イギリスに住んでいる二人の姪を夢に見たのです。二人は黒い服装をし、木曜日に私達は彼女を理解した。と私に言いました。それは、今87歳になる二人の母、つまり、すでに亡くなった私の長兄の妻が死んだという意味でした。当時のことながら、ひと時胸を痛めつつ待ち受けることになりました。これほど高齢の婦人が突然死するというのはなんら驚くべきではありませんし、とはいっても、私の夢にこの事件を言い当ててはしくなど、といってはいません。しかし、その後イギリスから届いた手紙は、こうした心配を追い払ってくれました。

夢の欲望理論のことを気に掛けるすべての人を安心させるために、こうした死の夢に関しても、無意識的動機を分析によって推定し発見することは困難ではなくなっていると、一言に挿入しておきましょう。
このような報告は無価値だ、なぜなら否定的経験は、他のより非オカルト的な領域に劣らず、この場合においても何かの証明にはなりえないからだ、と異議を申し立てて、どうか私の話を中断させないで下さい。わたし自身そのことは承知していますし、これらの事例を持ち出したのも、何かを証明したりあるいは特定の態度を皆さんにこっそり押し付けようと意図するからでは決してないのです。ただ、私の素材が限られていることに対して申し開きをしたいというだけのことだったからです。

ただし、もう一つ別の事実の方はより意義深いもののように思われます。すなわち、およそ27年間分析家として活動している中で私は一度として、自分の患者が紛れもなくテレパシー的な夢を体験する場に立会ったことがないのです。私が診療していた人々は、神経を重く病んだ(高度に敏感な)性質の人々ばかりでした。その中の多くは、それまで生きてきた中から奇妙極まりない出来事を私に語り、それを支えとして謎めいたオカルト的影響の存在を信じていました。治療中の最中には災害、近親者の発病、なかんずくどちらの親の死亡といった事件がしばしば起こって治療を中断させましたが、しかし、テレパシー的な夢を手にするのに本質的に大変適したはずのこれらの偶発時がわたしにその機会を与えてくれたことは一度としてないのです。治療は半年、一年、数年以上に及ぶことがあったのにです。
この事実のおかげで私の素材はまたして制限されることになるのですが、それを説明することは、やってみたい人にお任せすることにしましょう。この事実そのもの私の発表内容に関わりがないことは、やがておわかりになるでしょう。

また、文献には豊富にテレパシー的夢が書き記されているのだから、どうしてそこから事例を引き出してこないのかと質問されたとしても、私としては戸惑うことはありません。私はアメリカとイギリスの(心霊研究協会)のメンバーとして、そこで出版されているものをその気なれば自由に利用できますので、たいして事例を捜しまわる必要はなかったでしょう。

そこでの報告例においては、夢を分析的に評価、検討するということは一度として試みられていませんが、その評価、検討こそ、我々の関心を第一に呼ぶものなのです。他方、皆さんにはやがておわかり頂けると思います、今日の発表の意図するところはたった一つの事例によっても満足させられるものです。
それゆえ、私の素材は、ドイツに住む二人の文通相手から受け取った、たった二つの伝達からなるにすぎません。その人々と私は個人的に面識があるわけではありませんが、お名前と住所は教えてもらっています。 また、書き手であるその方々にこちらを誑かそうという意図があるとは、ほんのこれっぽちも思われません。二人のうちの一人とは、その文面の内容はこうです。

以下の夢は大変興味深いので、あなたに研究の素材としてお伝えすることにします。まず述べておかなければなりませんが、結婚してベルリンで暮らしている私は、娘には継母に当たる(二番目)の妻とともに、そのころベルリンに初めてのお産が予定されていた。11月16日から17日にかけての夜、私は夢を、それもこれまでなかったほど迫真的な夢を見ました。妻が双子を産んだ。赤いほっぺをした元気ではちきれそうな二人の子が妻のベッドに並んでいるのがわかったが、性別ははっきりしない。淡いブロンドの子ははっきりと私似で、それに妻似のところが混じっていた。妻はブロンドだが、私は妻に、(お前の)子の栗色の髪も後になるときっと赤毛になるよ、と言った。妻は洗濯機でマーマレードを煮ていた(これも夢)が、二人の子はよちよち鍋の中を這いまわり舐めまわしていた。
以上が夢です。続く。

如月のここまでの見方。
フロイトは夢という研究とテレパシーとの関連性を結びつけたい思いがあるようだ鋭い見
識眼ですが、どうも無理があるように思える。夢=テレパシーとは限らないし、事実を自分のみの事実として認めないものとして根拠づけをどこかで見出そうとしているが、もしかするとテレパシーという言葉の現代との意味とのギャップなのか。この辺は宗教的概念が嫌いな故か、少し捉え方が如月とはやや異なります。

続く。


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権力構造と自分や私たち

2013.08.17 Saturday[メンタルcomments (0)

人間のエゴは果てしないものかもしれない。各々は意思決定する
中でその答えも無意識にこたえることも多々ある。経験値だけで生きても発展はない。マニュアルだけなら誰でもできる。良いものは当然残され、継承されるが、しかし、横並びならただの平均値しかない。

競争原理が人間そのものを成長させるかもしれないが、どうしても自己防衛機制が働き、安全パイを本能的にとってしまう。
人の気持ちになれなくてはただのエゴイズム。自分の評価は人が評価する。なんの評価もないのに自己評価が高いのは単なるナルシスト。主観性と客観性の把握のズレほど痛いものはない。

生活習慣の中でも自分のやることなすことが間違いないと自負する人もまた発展もない。ちょっと待てよ!と言い聞かせないと発展性も見いだせない。物事には懐疑的ではあるが、クリティカルマインドをどこかで持つのもビジネスや日常においても必要かと。

続く。


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強迫性障害

2013.08.16 Friday[カウンセリングcomments (0)

とは京都第二赤十字病院、精神科、医師
国際医療福祉大学、医療福祉大学、上島教授監修。

どのような病気?
やめたい、意味がないとわかっていながら(自我違和感)
ある考えがいつまでも頭から離れない、ある行動を繰り返さない、
といったことがある。
強迫性障害の症状には(強迫観念)と(強迫行)があります。両方の症状が共存することが多いですが、強迫観念だけの場合もあります。
強迫観念とは、ある特定の考えやイメージが強迫的に、何度も繰り返して頭に浮かんでくることを指します。

強迫行為とは、強迫観念を打ち消すための行為で、自分の意思に反してやってくる場合が多く、強迫儀式とも呼ばれます。
例、強迫観念(手を洗ったのにまだ汚れている気がする)→-強迫行為(何度も繰り返し手を洗い続ける。)
強迫観念(本棚には45冊の本があるはずだが、そろっているか心配だ。)→強迫行為(本の数を何度も数え直して45冊あることを確認する)
また、トイレに行った後や汚いものに触れた後、必要以上に何回も手を洗ったり、衣服を洗濯したりする。
外出時にドアの鍵を閉め忘れてないか、ガスの元栓をしっかり締めたか、何度も確認してしまう。

4や9の数字、特定の数字に関連して不吉な考えが浮かび、不安に襲われる。
尖った物で自分や他人を傷つけてしまいそうで、ナイフやハサミ、コップなどの割れやすい物に近づかない。
これらは誰にでも起きることがありますが、そのために日常生活や社会生活に支障が出てくるようなら、それは強迫性障害という心の病気かもしれません。

強迫性障害の診断には、次の5つの質問が用いられることがあります。

1、手が痛くなるくらい、何度も手洗いを繰り返しますか?
2、鍵をかけたか、ガスの栓を締めたか、何度も同じことを確認しますか?
3、ばかげていると分かっていても、頭の中に繰り返し起こってきて振り払うことので きない考えがありますか?
4、一つ一つのことをやり終えるのに長い時間がかかりますか?
5、順序正しいことを左右対称であることにとらわれますか?

強迫性障害の発症原因はまだよくわかっていませんが、脳の中の神経間で情報伝達がうまくいかないことが原因の一つになっているようです。脳には私たちが生活をスムーズに行うための多くの情報が組み込まれていますが、その伝達が正しく行われなくなって、例えば(手が汚れているかもしれない)という不安な気持ちの情報伝達が過剰になり、強迫性障害の症状が現れるのではないかと考えられます。このような不安な気持ちの情報伝達には(セロトニン)という物質が関係していると考えられています。

強迫性障害の患者さんの脳内では、健康な人に比べてセロトニンの働きが足りなくなっています。

治療法。
強迫性障害の治療の基本として、薬物療法と行動療法があります。治療法の選択にあたっては、年齢や身体合併症の有無、症状の重さなど、様々な要因に応じて決められます。
また、強迫性障害はいったん治った後も、再発の可能性のある病気です。回復してからも長期にわたって治療を続け、再発を予防する必要があります。
薬物療法には脳内のセロトニンの働きを高める薬が使われます。これには、選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)があり、日本では、強迫性障害の治療薬として承認されています。

効果としてSSRIは抗鬱薬としても使われている薬で、脳内のセロトニンの働きが高まります。これによって強迫観念、強迫行為の両方を改善します。
行動療法には様々な方法がありますが、その中でも(曝露反応妨害法)が強迫性障害に効果があると言われています。

曝露反応妨害法とは、患者さんを意図的に強い不安や恐怖に曝露して(曝露・直面)、それを解消するための強迫行為や儀式行為を行わせない(反応妨害・反応防止)状態にすることで、強迫観念と強迫行為を繰り返さないようにしていくことを意図した治療法です。
強迫行為なしで、不安感、恐怖感を長時間放置することによってこれらの感情に慣れていき、徐々に苦しみが減少していきます。

ご家族にできることは、早期発見。強迫性障害は、早期発見がとても大切です。患者さん自身が苦しんでいたり、ご家族のみなさんから見ても日常生活に支障をきたしている様子があれば、なるべく早く病院、医院に連れていってあげて下さい。

患者さんの環境。患者さんを取り巻く環境を整えてあげることも重要です。家族では安定した気分で、ゆったりとした雰囲気を保てるようにしてあげて下さい。
強迫症状の理解。自力では症状を止めてられないということを理解してあげることで、患者さんは安心して家族に相談することができるようになります。

強迫症状への対応。患者さんからは強迫行為を手伝うように求められる場合は、先生にも相談のうえ慎重に対応しましょう。強迫症状を止めるように注意することは逆効果になることもあります。あくまで、患者さんの症状を家族が心配していることを伝え、休養を十分にとるように勧めたり、病院、医院を受診するように勧めて下さい。

薬物治療に対する知識。強迫性障害のお薬は、脳の機能を調整するためのものです。また、強迫性障害のお薬は即効性のあるものではありません。効果が十分に現れるには数週間かかりますので、すぐにお薬を止めてしまったり、病院、医院を変えてしまったりすることのないようにして下さい。

強迫性障害は、きちんと治療すれば、治る病気です。
もし、自分や周囲の人が強迫性障害かもしれないと感じたら、まず、メンタルクリニック、病院の精神科や心療内科で受診してみましょう。



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フロイトの論文から(夢の歪曲)

2013.08.09 Friday[フロイトcomments (0)

もし私がここで、夢のどの一つをとっても、その意味は欲望成就であり、そして欲望の夢以外には夢はない、という主張を挙げたとしたら、各方面から断固たる反論を受けることは必定である。人々は私に反対して次のように言うだろう。(願望成就として理解すべき夢があるということは、何も目新しいことでははなく、幾多の著者たちにもう古くから気づかれていた(ラーデンシュトック、ブルキンシエ、ティシエ、シモン、そしてグリーンジンガーのある個所)。
しかしこともあろうに、欲望成就の夢以外に夢はない、などというのはおよそ裏付けのない誤った一般化である。幸いにそれについては容易に反証が挙げられる。内容が苦痛を極め、欲望成就のかけらもないような夢がいくらでも現れる。悲観論哲学者のエードゥアルト.フォン.ハルトマンなどは欲望成就理論からはおよそ隔絶したところにたっている。ハルトマンはその著書<無意識の哲学>の第二部でこんな風に語っている。(夢がはじまると、覚醒生活のあらゆる煩いが睡眠の中にまで持ち込まれてくる。そこに見出せないものと言えば、教育を受けた人々にとって人生を多少とも耐え忍べるものにしてくれるもの、つまり学問と芸術の楽しみだけである...)。
しかし、ここまで気難しい人でなくとも、夢には苦痛と不快の方が快よりも優勢であるということは、多くの観察者、例えばショルツ、フォルケルトなどの主張するところである。実際、フローレンス.ハラムとサラ.ウィードという二人の女性研究者は、自分たちの夢の調査に基づいて、夢では不快が優勢であることを統計的に示している。彼女らによれば58%の夢は(不愉快)で
28.6%だけが積極的に<楽しい>と言える夢である。生活の様々な煩いを夢の中に持ち込んでくるこういう夢に加えて、さらに、不安夢というものがある。不安夢においては、不快な感情の中でも最も恐ろしい感情が我々を捉え、我々の目を覚ましてしまう。しかも、子供の夢には欲望成就が露呈していると論じられているにもかかわらず、このような不安夢に最も襲われやすいのは、他ならぬその子供たちなのだ。
実際のところ、確かに不安夢というものは、我々がここまでの各章で諸々の例から得た定式、すなわち夢は欲望成就であるということの一般化を不可能にしてしまい、さらにはこの定式に不条理の烙印を押してしまうようにさえ見える。
ところがどうして、この一見あらがい難い反論から身を譲ることは、それほど困難というわけではない。我々の理論は、顕在的な夢内容の判定に基づいているのではなく、解釈作業によってそれと知られる、夢の背後の思考内容に関するものである。そのことさえよく見ておいていただければよいのである。われわれは顕在的な夢内容と潜在的な夢内容の対立を構想しているのだ。顕在的な内容が苦痛極まる様式を取っている夢があるということは正しい。しかし、こうした夢を解釈し、その顕在的な思考内容を明るみに出そうと試みた人がこれまでに果たしてあっただろうか。もしそうした試みがなされてないとしたら、さきほどの二つの反論に我々はもはやたじろぐ必要はあるまい。苦痛な夢も、不安夢も、解釈成就としての姿を露にしてくれるかもしれないという可能性が、ともあれ残されていることにはなるからである。
学問的な作業においては、ある問題の解決が困難であるときに、二番目の問題を引き照らしてみると有利に働くことが稀ではない。たとえて言えば、胡桃を一つ一つ割るよりも二つの胡桃を合わせて割るほうが易しいのと同じことである。
それで、我々は苦痛な夢とがどうして欲望成就でありうるのかという問いの前で手をこまねいているのではなく、夢に関するこれまでのわれわれ自身の議論を出発点にして、二番目の問いを投げかけてみることができる。すなわち、何でもないような内容の夢は、欲望成就であることがいずれ判明するのだが、ではなぜその夢はその意味を、初めからあからさまに示しておかないのであろうか、と。先に詳しく取扱ったあのイルマへの注射を取り上げてみても、決して苦痛な性質の夢ではなくて、解釈を通じれば、立派な欲望成就だと認められるべき夢だった。それがそもそも解釈が必要であるようになっているのは、いったい何のためなのか。夢はその意味するところを、どうして直接に言わないのか。事実、イルマへの注射の夢は、夢見る者の欲望を成就された姿で呈示しているという印象を、すぐに与えてくれるものではない。読者もそのような印象は受けなかったであろうし、わたし自身も分析を施してみる前にはそのことがわからなかった。夢はわざわざ解明が必要なように振る舞うわけであるから、この振る舞いを夢の歪曲は何に由来するのか、と。

この問いに対して最初に思い浮かぶことは何かと考えれば、おそらくいろんな答えが返ってくるだろう。例えば睡眠中だから、夢思考に適切な表現を与えるだけの力が欠けていても仕方がないではないか、という人もいるだろう。しかし、ある種の夢の分析は、夢の歪曲を別の仕方で説明することを余儀なくされる。わたしはこのことを次に揚げるわたし自身の二番目の夢について示すことにする。私はこの夢でも再び、個人的な慎重さをいろいろ面で犠牲にしなければならないことになるが、それは問題の根本的な解明によって償われることになるだろう。

まえおき
1897年の春、私はわれわれの大学の教授二人が、私を員外教授の候補に挙げてくれたことを聞き知った。この知らせは、傑出した人たちが二人も、個人的な繋がりは何もないのに私を認めてくれたということの表れだったから、私にとって誠に嬉しい驚きであった。しかし、期待を寄せすぎのは禁物だと私はすぐさま自戒した。というのは、この数年間、政府の省の方では、この種の推薦があってもずっと無視を続けていて、すでに私より年上で業績でも引けを取らない何人かの同僚たちが、むなしく任命を待っている状況だったかである。自分だけがことさらに幸運にありつける理由はなかった。従って私は、次のように言い聞かせて自らを慰めることにした。自分でわかる範囲だが、私は名誉欲の強い人間ではなく、自分の医師としての職業でそこそこの成功を収めているから、このうえ肩書きがなくても構わない。いや、それはぶどうが酸っぱいとか甘いとか言っているわけではなく、正直それが自分にとってあまりに高いところにぶらさがっているというだけのことである、と。

ある夕方のこと、一人の親しい同僚が私を訪ねてやってきた。その運命を私が自戒としていた同僚たちの一人であった。彼が教授昇任候補になってからもうかなりの時が経っていた。
教授と言えば、我々の社会では患者から見れば半分神様のようなものである。私のようにあきらめがよくなかったその同僚は、見通しが開けることを願って、機会あれば政府省に顔を出していた。その日も、そういう訪問を重ねた形で、私のところに寄ったのである。彼が言うには、その際もう思い切って高位の役人に食い下がり、彼の任命の遅れは、実のところは信仰上の事由からきているのではないかと、正直聞いてみたそうである。するとその答えは、昨今の情勢を勘案しまするに、大臣閣下におかれましても目下のところ即断されることができないものがあるとことは事実でありまして、云々というものであった。(それでも少なくとも、自分の置かれている位置がどういうものかは分かってた)と言って、友人は話を締めくくった。私にとって、彼の話は何も新しいことももたらさず、むしろ私のあきらめを強めることにしかならなかった。友人の身の上に起きている信仰上の事由は、私にもまたそのまま当てはまったからである。
この友人の訪問を受けた目の翌朝、私は夢を見た。その夢は、なかんずくその形式で際立っていた。それはきっちり二ずつの思考と図像から成り立っていて、それぞれの思考の後にはそれぞれの図像が現れていたからである。ただ、夢の後半は、ここで夢を記述しようとする。

目的からはずれるので、報告するのは前半だけにする。
1… 友人Rは、私の叔父なのだ。-私は彼に大きな情愛を感じる。
2私の目の前に彼の顔が違って見える。言ってみれば縦に引き延ばしたような感じだ。顔の
周りの黄色い髭が特にはっきりと目立っている。
この後に、先述のように二つの部分が続く。初めに思考があり次に図像があるが、省略する。
この夢の解釈は次のように進められた。
朝のうちにこの夢が思い出されてきたとき、私は声を出して笑ってしまった、これはまた愚にもつかない夢を見たものだ、と。しかしこの夢は消えてしまわず、一日中私の年頭を去らなかったので、私は夕方になってようやく自分を責め続けた。(もし、夢解釈のときに、お前の患者の誰かが、いや、これはただの愚にもつかない夢ですよ、としか言わなかったら、お前はその患者をたしなめて、その夢の背後には何か面白くない話が隠れていて、それを知る事を患者は避けようとしているのだと推測ではないか。己自身にも同じように振る舞い賜え。愚にもつかない夢だというお前の考えの意味するところは、夢を解釈することに対する内容な抵抗に他ならぬ。そんなところで立ちすくんでいて何とする)。こうして私は解釈に取り掛かかったのだった。(Rは、私の叔父なのだ)。これはいったい何のことだ。私には一人にしか叔父はいなかった。ヨーゼフという叔父だ。この叔父をめぐっては悲しい話がある。30年以上も前の昔のことだが、彼は金儲けに熱心にするあまり、法律が厳しく禁じている種類の取引に手を染めて、事実厳しく罰せられることになったのである。私の父は嘆きの余り、数日の間にごま塩頭になってしまったが、いっもこう言っていた。ヨーゼフ叔父さんは悪い人ではなかったけれども、ただちょっとおつむが弱かったんだ、と。それが父の言い方であった。だから、もしも友人がヨーゼフ叔父さんなら、私は、友人Rはおつむが弱い、と言おうとしていることになる。縦長になってしまって髭が黄色い。実際、私の叔父も顔が長く、髭がきれいなブロンドであった。友人Rま、もともと黒々とした髭を生やしていた。
しかし、黒い髭も生やしていると、やがて灰色になってきたときに飄爽としていた分だけにみじめになる。一本また一本と、見苦しく変色してゆく。まず赤褐色になり、それからやっとすっかり灰色になる。友人Rの髭は、ちょうどこの変化を辿っている最中であった。ついでながら、私自身の髭も、残念なことに御同類であった。夢で見たあの顔は、友人Rの顔でもあれば叔父の顔でもあった。それはちょうど、家族的類似を究明するためにいくつかの顔を同じ感光板に焼き付ける、ゴールトンの合成写真のようなものであるだからもう疑うことはできない。私は現実に、友人Rは、ヨーゼフ叔父と同じように、ちょっとおつむが弱いと、思っているのだ。
しかし、自分でもいちいち反発を覚えざるを得ないようなこんな関係を、いったい何の目的があって私は作り出してしまったのか、とんと見当たらない。この関係はやはりそんなに深いところに及んでいないのではないか、なぜというように、叔父は法を犯したことのある人間だが、友人Rま清廉潔白な人なのだから。ただし、彼はかつて自転車に乗っていたとき、学童にぶつかり倒してしまい、処罰を受けたことがあった。この事犯が私の心の中にあったのだろうか。それは比較するのもおかしい程度のものだったに。ここまで来て、私は数日間に別の同僚のNと交わした会話に思い至った。そこでも同じ話題が出ていた。

道でNに会ったのだった。彼もまた教授候補の推薦されていた。彼は、私にも推薦の栄誉が与えられたことを知ってくれたのか、私は素直にそれを受け取る気にはなれず気にはなれずにすぐに反論した。(ご冗談でしょう。こうした推薦がどんなに当てにはならないものがご自分こそ良くご存じでのはずではありませんか)。しかし彼は、(いやいや分かりませんよと答え、冗談めかしてこう言った。(私の方には、ちょっと逆風が吹いていますからね。ある人が私を告発したことがあるんですよ。ご存じなかったですか?勿論取り調べは猶予されていました。よくある脅迫の類に過ぎませんでしたからね。むしろ告発した女性の方が処罰されたりしないように私が骨を折ってあげた位です。しかしどうやら、政府の省の方では、私を任命しない口実にそれを使っているようです。それに引き換え、あなたには何も悪い評判がない)。これで私は、法を犯したことがあるというのが誰のことであるのか、また同時に、私の夢の傾向性と解釈とが分かってきたのである。叔父のヨーゼフは、教授任命の下りない二人の同僚を、それぞれ、おつむの弱い人と法を犯した人として呈示していたのである。
そしてまた、このような呈示の仕方を、私がなぜ必要としたのかもわかる。もし友人RとNの任命遅延の理由が、信仰上の事由で説明できるとしたら、私の任命の可能性もまたあやしくなる。しかし、彼らが受けている拒否が、私にはあてはまらない別の理由によるものだとすることができれば、私はまだ希望を繋いでよいことになる。夢はこのように進んだのである。夢は、一人の友人Rをおつむの弱い人に、もう一人の友人Nを法を犯した人にした。私はそのどちらでもない。我々の間に共通点はなくなる。教授任命を楽しみに待ってよい。Rからの知らせ、つまり政府の省の高官が友人Rに言ったことは、私自身にも当てはめねばならぬものであったわけだが、この夢のおかげで、私はそうした苦痛な当てはめをしなくてよいことになったのである。しかし、私は、この夢の解釈をさらに進めざるを得ない。私はまだ、この夢の重荷から解放されたという感じがしない。自分の教授昇進の道を開いておくために、敬意を抱いている二人の同僚を、かくも軽薄に宥めたということに、我ながら落ち着かぬ気持ちにさせられる。もちろん、夢の主張に対してどのような価値付けを与えればよいのかを理解できるようになっているので、それを考えれば、自分自身のこうしたやり口に対する不満は、やわらぎはする。つまりもし私が現実に、友人Rのおつむは弱いと思い、友人が脅迫を受けたという話を信じてはいないのだと言ってくる人がいれば、私は何としても反撹するだろう。あるいは、私は、オットーのプロピル製剤の注射のせいでイルマが危険な病気になったということを信じているわけではない。今回も前回も、私の夢が表しているのは、そうであってくれればよいのだがという私の欲望に過ぎないのである。私の欲望はそのような主張として実現として実現されているが、今回の夢は、前回の夢よりも、その主張の不条理さが少ないといえる。今回の夢は、実際の手掛かりを巧みに利用して作られている。
ちょうど(火の無いところに煙は立たぬ)と思わせるような、よくできた誹誘のようなものである。というのも、友人Rは、学部教授の一人から反対票を投じられていたし、友人Nは、悪くとられる恐れのあることを陽気に私に漏らしたからである。だが、繰り返すことになるが、そのように考えてもなお、この夢はまだ解釈の余地を残しているように思えるのである。
続く。


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夢の解釈の続き

2013.08.01 Thursday[フロイトcomments (0)

古代の人々も、夢内容が生活感を漂わせているということについて
何かまったく別の考え方をしていたわけではない。ここではラーデンシュトックから引いておこう。(クセルクセスは、ギリシャ領土へと兵を進めようとしたとき、良い忠告を得てこれを思いとどまった。しかし、夢を見るたびに、この野望にまたもや火がついてしまったので、分別ある老ペルシャ人の夢解釈家アルタバノスは、ずばりクセルクセスはその人に向かって、夢というものは、人間がすでに覚醒の間に考えていたことのほとんどを含んでいるものだと言って聞かせたという)。
ルクレティウスn理論詩(物の本質について)には、次のような箇所がある。
<只今熱意を込めて没頭中のことがあれば、あるいは先般心を占めていたが、今でもまだ執着していることがあれば、夢の中とて現れてくるのは同じもの。法律家は法律を進め、将軍は軍を動かし敵を血祭りに上げる、云々)。


キケロ(占いについて)第二巻)も、後年先ほどのモーリが述べたようなこととまったく同じようなことを言っていた。(われわれが起きている間に考えたり為したりしたことの名残が、その時ここぞとばかりに心の中を騒ぎ廻る)。
述べてきた如く、夢生活と覚醒生活との関係をめぐるこれら二つの見方は、実のところ相容れないものである。
したがって、このあたりでヒルデブラントによる次のような議論に入れておくべきだろう。
彼の意見では、夢の特性を述べようとすれば、それはもう、(一連の対立であって、すでに鋭い矛盾にまで達しているように見えるほどのもの)とでも言うしかないのである。
(これらの対立のうちに第一に挙げられるのは、夢が本当の現実生活から強く隔絶され、あるいは閉鎖されている一方で、夢と現実生活が常に互いに食い込み、かつ依存しているということである。

夢は、われわれが醒めて経験しているこの現実とは隅々まで似ても似つかぬものなので、現実生活からは乗り越え難い深淵によって隔てられてそれ自体の中に秘められたままになっている。一つの存在物とでも言いたくなるほどである。夢はわれわれを現実から連れ去り、現実生活でどんな生活をしていたかを思い出せないようにさせ、かくしてわれわれを別の世界において、これまでわれわれが辿ってきた人生とはまったく関係ない歴史の中に生きてきたかのように思わせる...)。
そこでヒルデブラントはこう説明する、眠りに入るとともに、われわれの存在全体は、その日々の実存有様もろとも、(まるで見えないし落とし戸が背後で閉まるように)、かき消えてしまい、その後は例えば、夢の中でセントヘレナ島に向かって航海し、そこに幽閉されているナポレオンに会い、えり抜きのモーゼルワインを献上する。するとこの元皇帝は心からもてなしてくれたので、そこで目が覚めて面白い錯覚が途切れてしまったことを残念に思う。

ところが夢の状況を現実と比べみるとどうか。自分はワイン商人でもなくそうなろうと思ったこともない。そもそも船旅をするとしてもセントヘレナ島などはまず目的地に選ばない。ナポレオンに対しては自分は好意を抱いたことは一度もないしそれどころか愛国心から彼をつくづく恨んでさえいる。だいたい、ナポレオンがこの島で死んだときには自分はこの世に生まれてきていなかったし、彼と個人的関係を結ぶこと自体がおよそ不可能だ。
かくしてこの夢体験は、なだらかに続き合っていたはずの生活場面の前後に余所から挟みこまれた、何らかの異物であるという風に見える。
(ところがそれでも)、とヒルデブラントはさらに続ける。
(見たといろこのちょうど反対と思えることがらも、また同様に当を得ている。このような隔絶と閉鎖の裏で、手に手をとって連携と結託が進んでいるのだ。
そもそも夢が何かをわれわれに提供しようとしても、夢はそのための素材を、現実から、そして現実の中で人間があれこれと考えた末の精神生活から引き出すしかないではないか...

夢はなるほどそこからとんでもない結果に至り着くことがあるかもしれないが、それでも夢は現実の世界を離れることは決してできないし、夢の紡ぎだすどんな崇高なまたはどんなあほらしい図柄も、その元になっている材料は、われわれがこの感覚世界でこの目で見たり、覚醒時の思考過程の中ですでに試しておいたりしたこと、つまりわれわれが外的内的にすでに経験済みであったことを頼りにするしかないのである。)。

続く。


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