デジタル社会
何でもすぐに情報が容易に入る分リスクは生じると、
私はずっと唱えてきたつもりですが、
人間が創るテクノロジーにはややもすれば逆転現象があることに懸念したい。
特に安易に電子メールやアプリ、
インターネットなどはリアルタイムで情報をキャッチしやすく、
それを見て喜ぶ自分たちは、
人間である根底の無意識層の中にesのようなものが、
本能的に働き、快感を得ようとすると覚えるのだと考えます。
エンドルフィンの分泌による社会性をもつ私たちにとって、
歪められた何かが悪く作用すると仮説を立てれば、
本来は社会性を保つためのエンドルフィンの分泌の変化ではないかなども想像したりする。
周りの環境因子は必要不可欠で、
アナログな分野は絶対に外してはならないと断言してもよい。
開かずの扉があった場合、開いてはならないもの、
無形のものが存在があることにも注意しないといけない。
日本人はマテリアリストが多く見受けられます。
問題は文化の成熟度も比例して、
無形の文化というか心の栄養剤が不足している。
安易な無形の何かに心を留めるのも否定しないが、
生きるという根本的な環境作りが特に不足しているように思える。
生きるという深い目的のもとに、
私たちの何かが足りないものが今日現在、問いかけられる課題である。
生きるということの目的は満たされるというよりもプロセスが重要なのです。