経済システムと社会や人間との関係において
社会学者の度デュルケムは市場の無規制的な拡大で、
人々の欲望が他律的に強化され異常に肥大化していく中で、
消費の焦燥感や挫折感、幻滅などが生じることを経済的アノミーといった。
これはデュルケムが(自殺論)で展開したアノミー論である。
これは私から考えると、欲望の果てのような人間の悲しき姿ではないだろうか。
物欲だけに捉われた悲しき人間像ではないか。
デュルケムは他に、方法論的集団主義を次のように述べている。
社会を個人の行為に還元せず、
個人の意思を超えた固有の特性をもつ有機体として説明すること、
(社会的事実をモノのように捉えよ)と提唱し、
社会は観察可能な指標を通じ客観的に捉えられるとした。
また機械的連帯(環節的社会)は
相互に類似した同質的な成員が機械的に結合した社会形態と述べている。
では有機的連帯(組織的社会)とは独立の人格をもった異質な成員が、
自らの個性を能動的に生かしながら、分業に基づいて相互に結びついて形成する社会形態、
近代化がもたらす社会の結合は、
社会分業論の立場から機械的連帯から有機的連帯へと発展するとした、
そして有機的連帯に発展しない分業の異常状態をアノミー的分業と呼んだ。
アノミーとは社会規範の動揺、崩壊などによって生じる行為や欲求の無規制状態という。
そして、自殺の4種類を提唱している。
1,集団本位的自殺、社会との結びつきが強く、集団の規範、
価値体系に絶対服従することから生じる自殺。
2,自己本位的自殺、社会との結びつきが弱く、
個人が集団から切離され孤立することによって生じる自殺。
3,上記と重複するが、アノミー的自殺、社会からの拘束が弱く、
個人の欲求が無限に増大し幻滅や虚無感が生じることによる自殺。
4,宿命的自殺、社会からの拘束が強く、欲求に対する規制が強すぎるために生じる自殺。
このうち、2、3、を前近代的自殺であるとデュルケムは提唱している。
このような判別は現代人に如何にあてはまることになるのだろうか。
自己の欲求と社会からの拘束にどれだけ自己が対処できるのか、
またはどこに幸福感を得て、社会生活を送ることができているのか、
自己の欲求の深さで自滅することもあるかもしれない。
欲求がなければ、人間としても成り立たない。
どこまでも自己の実現に向けて歩かなければ、
ゴールはさらに遠くなるのではないだろうか。
そこでやはり個人因子という固有のものが尊重されなければならないと考えるのである。
続く