CHANGE
オバマ大統領が選挙時に使った言葉であり、変化というものが過去の歴史からみると、必ず必要かもしれません。改革、変化、または人の心の変化も必要だと思います。
国によっては、歴史的背景も異なり、人の価値観も様々である。世界が一つになるというアイデンティティはかなり無理があるかもしれない。それは宗教的要素も含まれ、統一という政治的なもの関しては、イデオロギー的に不可能に近いのではないかと考慮します。
学問に関しては、数学や化学、英語、物理などは世界同じだ。
しかし、この歴史、社会がネックになる。過去の帝国主義時代にどこまで過去の政治的軍事力みたいはものが、今もまだ一部というか、その残骸も残る。
偉人たちは過去の過ちを二度と犯さないように、熟慮して、次のステップを歩もうとする。
フロイトがいうには、人間は攻撃的な生き物だという。しかし、それは文化の発展と共に緩和されるであろうと述べている。
古くは仏教のはじまりであるお釈迦様は煩悩を除き修行に入り、菩提樹の下で考えた。
人間はなぜ、生き、老い、病になり、死ぬのかを修行し、悟りを開いたという。
人間は生理的欲求から、始まり、社会性を望み愛情を得ようとし、そして自己実現へと向かう、これが心理学者のマズローが唱えている。
煩悩に対して、どこまでがしてよいかその分岐点も難しい。そして法律が成立しそれに従うことになる。(楽しい、嬉しい)という感情がその人によっても千差万別である。
ではその人によって楽しいや嬉しいは実はそれがやって良いのかは、社会が決めることになる。フロイトのいうリビドーはその人のエネルギーであり、それをしないと、抑圧という防衛機制が働く。人間は社会性をもつ生き物であり、同じ行動をしようとし、それによって自分自身を安心させる。
文明の発達により、つまり環境の変化についていけない人も多くあるのが現状。
それはそれで、代償という形で補おうとする。それが本当の意味においては自己実現に値するのだろうか、疑問は残る。
人とのふれあいという中で、何かテーマを与えられているかもしれないと考えます。
アメリカのドクターのエヴェン.アレグザンダーは自ら臨死体験をして、黄泉の国はあると断言している。脳は機能しなくなっても何かの媒体を使って脳をつかさどる何かがあるのではないか、と言っている。そこに科学を使って解明していく決意を述べています。
正義や悪はそこにヒントになるような何かが存在するのであろうか。
宗教は自由だ、そこには古代からいろんな説が唱えられ、科学がそのうちに解明していくのだろうか。つまりどれが正しい生き方なのかも教示できるかもしれない。
心の平和や安らぎとして、宗教は大切なものと私は考えています。
例えば、心と体、精神等、本当は一体なのだろうか。アメリカの医学会では6000万件の臨死体験のデータが存在する。
今を生きるということは最も重要なことであり、先を見ることも人としてどうあるべきかも含め、われわれは深く考察していかないといけない。
わたし自身の課題も多くある。
続く。