Sei KIsaragiオフィシャルブログ


心理学という学問について

2014.05.02 Friday[心理学-

医学を勉強し、生物の生態を研究しはじめ、結婚を機に精神分析家を目指して偉大な功績を遺したフロイトから精神医学の産声をあげ心理学のベースを作り今日に至ることになった。
弟子のユングとの決別、後にアドラー、エリクソン、コフート、クライン、ラカン、ロジャーズなどいろんな精神科医や心理学者が登場し、その学説も様々である。
いまや心理学は様々な角度で研究され、手法も時代とともに変化してきた。

療法としてのカウンセリングはドクターの元で行われるのが主流である。しかし、人間の脳、つまり思考、奥底にある思考はまだ第三者には、未開な部分が多い。
「わたしって何考えているかわかる?」と心理学をかじった者に対して言われるケースがしばしばある。ほとんどが心理学の実験の場合は、100人いました、結果80人がこうなりました。というサンプルばっかりが実情。

それを本気で信じきっている者もいるのだが、まるで滑稽過ぎて、まともに相手できない。
競馬の予想ではないのだから。
それにしてもネット広告でカウンセラーの資格が取れますとか、胡散臭いこの上ないのが、氾濫していて目につくのだが、それを仮に取得しても何もならないのが実情、完全な資格商法であり、よくそれに飛びつく人もいるのかな、と理解不能だ。

ちゃんとしたカウンセリングカリキュラムがなされているのは心理学を6年学んだ、大学の心理学を卒業した人のみなのに、短期間でしかも民間資格の誰が講義をしているのかわからない者が教えて、資格など言えるのも不可解だ。臨床心理士も民間資格だが、大学のカリキュラムだから意味が違う。早く、国家資格になってほしいものです。

カウンセラーという国家資格が確立することを。
人の人生を左右することさえあるカウンセリングに適当なカウンセリング資格が存在するのは許せない。本当は資格もそうだが、能力が大切なのである。
それはどんな資格でも言えるのだが、業務独占の場合は資格がないとできないことは言うまでもない。カウンセラーの資格のハードルが低すぎて、国家資格にもできないし、質も低いが現状なのだ。欧米型のカウンセリングが浸透してなくはならない、勝手にアレンジもしくは勝手な解釈でカウンセリング講義など愚の骨頂。就職がないからカウンセラーの資格を取るとかカウンセラーに自分で勝手に向いているなどの妄想を抱く人も除去するべきだ。

クライエントにどれだけ向き合えるかが重要、そんなのわかっていると言いながら、自分本位なのだ。
そこで、私は向いていない人を選別し、知識も豊富、教養、愛情の深さをカリキュラム編成して、来年にはスクールを開講する予定だ。しかも卒業生にはグループ企業のカウンセラーとしてきちんとした給与体系でスクールを開校する。
ほとんどが、受講生集めの資格商法なため、私が開設するスクールには、卒業生にはカウンセラーとして活躍できるフィールドが用意してあるのだ。
詳細はまた準備万端になれば、お知らせする次第です。